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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)2550号 判決 1987年1月29日

原告 株式会社 一誠

右代表者代表取締役 田中甫

右訴訟代理人弁護士 本田俊雄

被告 海老沢正明

右訴訟代理人弁護士 赤尾直人

被告補助参加人 向井不二也

主文

一  被告は原告に対し、金三五〇万円及びこれに対する昭和五九年三月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用中、参加によって生じた費用は補助参加人の負担とし、その余はこれを一〇分し、その三を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、一〇五〇万円及びこれに対する昭和五四年八月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前の答弁)

1 原告の訴えを却下する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(本案の答弁)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (被告の地位)

被告は、宅地建物取引業を営む者である。

2  (本件賃貸借契約の成立)

原告は、昭和五四年八月二五日、被告の仲介により、補助参加人向井不二也(以下「向井」という。)との間で、別紙物件目録(二)記載の建物部分(以下「本件店舗」という。)につき、右向井を賃貸人、原告を賃借人とする賃貸借契約を締結し(以下「本件賃貸借契約」という。)、右同日、原告は、向井に対し保証金として五〇〇万円を預託した。被告は、昭和五九年四月二〇日の第一回口頭弁論期日において右五〇〇万円の預託について自白し、同年五月二五日の第二回口頭弁論期日において右自白を撤回したが、右自白の撤回には異議がある。

3  (原告の損害)

(一) 被告は、本件賃貸借契約を仲介するにあたり、本件店舗の所有者が向井であると原告代表者田中甫(以下「田中」という。)に説明し、その旨田中を誤信させたのであるが、右契約当時、本件店舗を含む別紙物件目録(一)の建物(以下「本件建物」という。)は訴外日本林業株式会社(以下「日本林業」という。)の所有であった。

(二) その後本件建物に付されていた根抵当権が実行され、昭和五七年四月二三日、競落により訴外長期信用販売株式会社(以下「長期信用販売」という。)が取得し、同社はこれを訴外高洋産業株式会社(以下「高洋産業」という。)に譲渡した。そこで、原告は、本件賃貸借契約の賃借権をもって高洋産業に対抗できなくなったため、あらためて同社との間で賃貸借契約を結ばざるをえなくなった。

(三) 原告は本件店舗の所有者を向井と誤信し、同人と本件賃貸借契約をしたことにより、次の損害を受けた。

(1) 保証金五〇〇万円

右は本件賃貸借契約が所有者との間でなされていたら競落人に承継されたものであるが、所有者との間でなされていなかったため、長期信用販売さらには高洋産業に承継されず、競落の時点で向井と原告との間の本件賃貸借契約は履行不能になり、向井はこれを原告に返還すべきであるところ、同人には資力はない。右保証金は原告が向井を本件店舗の所有者と誤信したことによる出捐である。

(2) 権利金五五〇万円

右は原告が向井との間で譲渡権利付賃貸借契約を締結できることを前提として本件店舗の前賃借人である訴外浦沢明(以下「浦沢」という。)に対し、権利金五五〇万円を支払って同人が設置した什器備品、造作一式を含む譲渡権利付賃借権を譲り受けた。しかし、前述のとおり本件店舗は向井の所有でなかったため、原告は譲渡権利付賃借権を取得できなかったのであるから、五五〇万円は損害となった。

4  (被告の責任)

(一) 原告は、昭和五四年七月下旬、被告に対し建物賃貸借の媒介を依頼し、被告はこれを承諾した。

(二) 被告は、宅地建物取引業者として、本件店舗を原告に仲介するにあたっては、本件建物の登記簿謄本を調査し、向井が本件店舗の所有者であるか否かを確認すべきであったにもかかわらず、これを怠り、向井に言われるままに漫然と本件店舗を向井の所有である旨原告に説明し、原告をその旨誤信させて本件賃貸借契約を締結させた。

(三) したがって、被告には媒介契約の債務不履行に基づく損害賠償責任があり、仮にそうでないとしても不法行為に基づく損害賠償責任がある。

5  (結論)

よって、原告は被告に対し、3の損害金合計一〇五〇万円とこれに対する損害発生の翌日である昭和五四年八月二六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  本案前の主張並びに請求原因に対する認否

1  被告は株式会社田中袋物店の賃貸借契約には関与したことはあるが、原告の賃貸借契約には関与したことがない。仮に株式会社田中袋物店と原告が同一だったとしても、本件賃貸借契約は昭和五七年八月二四日をもって三年間の契約期間が満了しており、損害は発生していない。被告は保証金を返還することを約束したことはないのであるから、被告は被告適格を有していない。よって、本件訴えは却下されるべきである。

2  請求原因1の事実は認める。

3  同2の事実のうち、原告が向井に保証金として五〇〇万円を預託したことは否認し、その余は認める。原告は向井に五〇〇万円の小切手(預手)で支払ったものであり、これは直ちに前賃借人の浦沢に交付され、同人が換金した。被告は、当初五〇〇万円の預託を認めたが、右自白を撤回する。

4  同3の(一)、(二)の事実は不知。

同3の(三)の主張は争う。

本件建物については昭和五四年四月二四日に向井から日本林業に売買された旨の登記が同月二五日付でなされているが、真実は七〇〇〇万円を借り受けたための譲渡担保であり、所有者は向井であった。他方、本件賃貸借契約は、浦沢から原告への賃借権譲渡を向井が承諾して、期間を新たに設定するためになされたものである。浦沢の賃借権は日本林業によって根抵当権が設定される以前に設定されており、抵当権者や競落人に対抗できるものである。したがって、原告の取得した本件店舗の賃借権は競落人の長期信用販売及びその承継人に対抗しうるものであり、賃貸人の地位及び保証金返還義務も建物の所有者に承継されるから原告は本件建物の所有者に対し保証金返還請求権を失っておらず損害は発生していない。

また、権利譲渡代金は、本件店舗の賃借権の譲渡を受け、以来今日までこれを利用して、そば屋を経営し譲渡代金を上回る利益をあげており、なんら損害は発生していない。まして原告の賃借権も高洋産業によって譲渡を承諾されることはありうるのであるから損害が確定的とはいえない。

5  同4の(一)の事実は否認し、(二)の主張は争う。

被告は、浦沢と原告間の什器備品の売買については仲介手数料を受領したが、右当事者間の賃借権譲渡契約や原告と向井間の本件賃貸借契約については手数料を受領しておらず、媒介契約はなされていない。したがって、被告には宅建業者としての注意義務は負っておらず、登記簿を調査しなかったとしても違法性はない。また、原告は、当時本件建物が譲渡担保に入っているとの説明を向井から聞いており、これを承知で本件賃貸借契約を締結したものであって、被告には責任がない。

三  抗弁

1  (時効消滅)

仮に被告に損害賠償義務があるとしても、契約日である昭和五四年八月二五日から三年の経過によって、時効消滅したので(民法七二四条)、本訴においてこれを援用する。

2  (過失相殺)

原告代表者の田中は、本件賃貸借契約当時、宅地建物取引主任の資格を有していた者であり、本件建物の登記簿謄本を自ら調査することは容易にできたにもかかわらず、向井から譲渡担保が設定されているとの説明さえ受けていながらこの権利関係を調査しなかったのであるから、過失があるものというべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の主張は争う。原告が損害の発生を知ったのは昭和五七年一一月であり、本訴を提起した昭和五九年三月九日までに三年経過していないことは明かである。

2  抗弁2の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

第一(本案前の主張について)

被告は、本件につき被告に被告適格がないから本件訴えは却下すべきである旨主張するが、要は被告は原告に賠償義務を負っていないというにすぎず、被告適格の問題ではないことが明かであるので(給付の訴えにおいては、その訴えを提起する者が給付義務者であると主張している者に被告適格があるのである。)、被告の本案前の主張は採用しない。

第二(本案について)

一  被告が宅地建物取引業を営む者であること、昭和五四年八月二五日、被告の仲介により、原告と向井との間で本件賃貸借契約が締結されたこと、右同日、原告が保証金として五〇〇万円を向井に預託したこと、以上の事実は当事者間に争いがない(なお、被告は、右五〇〇万円の預託につき本件第一回口頭弁論期日において自白し、第二回口頭弁論期日において右自白を撤回しているが、右錯誤が真実に反し、かつ錯誤によるものとの主張、立証はないのみならず、被告の主張は五〇〇万円が現金ではなく、五〇〇万円の小切手(預手)であったとするものにすぎないところ、かかる小切手(預手)は現金と同視しうるのであり、しかも右小切手が換金できたことは被告の自認するところであるから、原告が向井に五〇〇万円を預託したものと解すべきである。)。

二  右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  本件店舗を含む本件建物は、もと向井の所有者であったところ、同人は、昭和五四年四月二五日付をもって日本林業に対し、同月二四日売買を原因とする所有権移転登記をなし、日本林業は、同月二四日付で株式会社加州相互銀行に対し極度額一億円とする根抵当権を設定し、同月二五日付でその登記をした。

2  これより前の同年三月一七日、浦沢は向井から本件店舗を賃料一か月一二万円、期間三年、保証金五〇〇万円、使用目的飲食店の約定で賃借し、引渡を受け、向井に保証金五〇〇万円を預託した。なお、右賃貸借の契約書には、特約条項として、貸主の承諾を得たうえで店舗の造作、什器備品を第三者に譲渡する場合は、借主は貸主に対し名義変更料として家賃の三か月分を支払う旨の記載がある。また、浦沢が右店舗を賃借した当時、本件建物には抵当権等の登記はなされていなかった。

3  浦沢は、本件店舗でラーメン屋を営んでいたが、まもなく閉鎖し、被告に対し、賃借権譲渡につき仲介を依頼した。そこで被告は本件店舗の賃借権譲渡につき新聞広告をした。

4  当時、商号を株式会社田中袋物店としていた原告会社は、ハンドバック等の販売業と飲食業(日本そばの立食店)を行っていたが、代表者の田中は被告の新聞広告を見て本件店舗を日本そばの立食店にしようと考え、昭和五四年七月ころ、被告に仲介を申し入れた。なお、田中は宅地建物取引主任の資格を有し、原告会社の営業目的の一つとして不動産の賃貸、管理並びにその仲介が掲げられていたが、現実に、原告会社が宅地建物取引業の営業を始めたのは昭和五五年一一月になってからであった。

5  被告の仲介により、同年八月三日、原告と浦沢との間で譲渡代金を一〇〇〇万円とする本件店舗の什器備品、造作一式の譲渡契約がなされ、同日原告は浦沢に手付金として一二〇万円を支払った。右の譲渡代金には、浦沢が向井に預託した保証金五〇〇万円も含まれており(したがって、これを除く代金は五〇〇万円)、契約書上では什器備品、造作の譲渡であるが実質は本件店舗の賃借権の譲渡の趣旨も含まれており、賃貸人である向井と原告が新たな賃貸借契約ができなかったときは無効とするとの解除条件付でなされた。被告は、向井が本件店舗の所有者であると思っていたため、本件建物の登記簿謄本をとって権利関係を調査することはしなかったので、当時本件建物にどのような登記がなされているか知らなかった。また原告代表者の田中も本件建物に向井が居住していたため向井の所有であることを疑わなかった。

6  浦沢は、同年八月二四日、向井に本件店舗の損料として一四万円、借主名義を原告に移転する承諾料として三六万円合計五〇万円を支払うことにより、浦沢と向井の賃貸借契約を円満に合意解除し、向井と原告との新規の賃貸借契約を締結することの承諾(実質は賃借権譲渡の承諾)を得た。そこで、原告は、同日、浦沢に什器備品の追加として五〇万円を支払った。

7  同月二五日、被告の仲介により向井と原告との間で賃貸条件は浦沢のものと同一(但し期間の始期は八月二五日になる。)の本件賃貸借契約が締結され、原告は、同日、五〇〇万円を向井に支払い、向井はこれを直ちに保証金の返還として浦沢に交付した。また、原告は浦沢に譲渡代金残金として三八〇万円を支払った。

本件賃貸借契約に先だって被告から田中に物件説明書が交付され、右説明書の所有者欄には所有者として向井の氏名が記載され、所有権以外の権利関係欄には「向井様説明により借主様諒承」の記載がある。

また、本件賃貸借契約の成立により、被告は報酬として原告から三〇万円、浦沢から一五万円を受領したが、本件賃貸借契約の仲介手数料としては受領しないこととされた。

8  同年一二月に至り、日本林業から浦沢のもとに本件建物は同社が買い取ったので以後賃料は日本林業に支払うよう内容証明郵便で通知がなされたため、浦沢は、これを原告と被告に連絡した。そこで原告代表者の田中は向井のところに行き、事情を聞いたが、安心して従前通り賃料を向井に払うよう求められたため、原告は、供託することなく向井に賃料を支払っていた。

9  その後、昭和五五年三月二五日、株式会社加州相互銀行の申立により本件建物の競売手続が開始され、昭和五七年四月二三日、長期信用販売が競落し、同年一一月、原告は本件建物の所有者となった高洋産業から本件賃貸借契約の効力を否定されたため、同社との間で本件店舗の賃貸借契約を締結した。

三  右認定の事実によると、本件賃貸借契約締結当時、本件建物の所有者は日本林業であり、同社が設定した根抵当権が存在していたため、競落により本件賃貸借契約上の賃借権は、競落人に対抗できなくなったものと解するのが相当である。この点に関し、被告は、向井から日本林業への所有権移転登記は向井が同社から借りた七〇〇〇万円の債務を担保するための譲渡担保であり、所有者は向井であったと主張し、右主張に沿う証人向井不二也の供述があるが、前記認定のとおり向井から日本林業に売買を原因とする所有権移転登記がなされた昭和五四年四月二五日に株式会社加州相互銀行に極度額一億円の根抵当権が設定されていることに鑑みれば、向井が借りたとする七〇〇〇万円は右銀行から出ているものと考えざるをえず、向井自身もこのことは承知していたものと解さざるをえない(さればこそ向井は右相互銀行の抵当権実行を争わず本件建物が競落されるに至ったものと推認されるのである。)。そうであってみれば仮に本件賃貸借契約当時、日本林業への所有権移転が実質は譲渡担保であったとしても、対第三者の関係では所有権は日本林業に移転したものといわざるをえないのであって、向井は所有者であることを抵当権者や競落人に主張しえないものといわざるをえないから、向井との間でなされた本件賃貸借契約上の権利をもって第三者である抵当権者や競落人に対抗できないものといわざるをえないのであり、したがって、原告は向井に預託した保証金返還請求権を競落人やその特定承継人に主張できないことは明かである。

四  そこで被告の責任について判断するに、前記認定の事実によれば、被告は浦沢から本件店舗の賃借権譲渡の仲介を依頼され、被告の広告により原告が仲介を依頼したことにより、原告と被告との間には本件店舗の賃貸借契約の媒介契約がなされたものと解される。被告は、被告の媒介したのは本件店舗の造作の譲渡契約であって本件賃貸借契約ではないと主張するが、本件店舗の造作は賃借権の取得を前提としなければなんら意味のないものであって、原告がこのような媒介のみを被告に依頼したとは到底考えられないところである。被告は、本件賃貸借契約に関しては仲介手数料を受領していないことをもって賃貸借契約の媒介契約はないとするのであるが、右は被告が賃貸借契約成立を前提とした原告と浦沢との契約において原告から三〇万円、浦沢から一五万円を受領しているからにすぎず(本来建物賃貸借の媒介によって取得できる手数料の最高限度は「宅地建物取引業者が宅地又は建物の売買等に関して受け取ることができる報酬の額を定める告示」の第三によって双方からの合計が賃料の一か月分以内(本件では一二万円)であると定められているのであるから、造作権利の売買を権利金の授受のある賃貸借として同告示第五に定める特例によって計算したものと解される。)、原告と浦沢の間の譲渡契約は原告が本件店舗の賃借権を取得することが主なるものというべきであるから、原告が支払った三〇万円の手数料には本件賃貸借契約の手数料も当然含まれていると解すべきであるので、被告の主張は採用できない。

ところで、建物の賃貸借契約を媒介する宅地建物取引業者は、宅地建物取引業法(昭和二七年六月一〇日法律第一七六号、昭和五五年の改正前のもの)三五条にかかる重要事項の説明義務があるのであるが、媒介契約上の債務としても目的となる建物の所有者を調査し、貸主となろうとするものが所有名義人と異なる場合には貸主に貸借の権原があるか否かを確認する義務があるものと解するのが相当である。そうして、かかる義務は貸主が自分に権利がある旨説明し、その説明を借主が了承したとしても、それだけでは義務を履行したとはいえないと解すべきである。

これを本件についてみるに、被告は本件賃貸借契約を仲介するにあたり、本件建物の登記簿謄本をとって調査したことはなく、当時、本件建物にどのような登記がなされているか知らなかったというのであるから、媒介契約上の債務の不履行があるものといわざるをえない。被告は、本件建物が当時譲渡担保に供されていたことは田中も知っており、これについては向井の説明で了承していたのであるから、被告に義務違反はない旨主張するが、当時、向井の信用状態に不安があったことは《証拠省略》によっても窺えるが、本件建物にどのような権利関係の登記が付されているかについての具体的な説明があったことについてはこれを認めるに足る証拠はなく、ましてや、売買を原因とする所有権移転登記がなされていることについては原告側では全く知りえなかったのであるから、向井の説明があったとしてもそれにまかせて調査をしなかった被告の義務が免除されるものとは到底いえない。本件賃貸借契約前に本件建物が日本林業に所有権移転登記されていることを知り、仮にそれが被告主張のように譲渡担保であったとしたら、もともと浦沢の有していた本件店舗の賃借権は株式会社加州相互銀行の根抵当権に優先するものであったのであるから、日本林業から賃借権の譲渡を承諾して貰うことにより、原告は、瑕疵のない、すなわち抵当権者にも対抗できる賃借権を取得できたかもしれないのであり(この承諾がえられなければ結局原告は瑕疵のない賃借権を取得できない。)、本件建物の所有名義の確認を怠り、向井の権限の有無の確認を怠ったことは宅地建物取引業者としては初歩的な注意義務を怠ったものといわざるをえない。

したがって、被告は、右注意義務を怠ったことにより原告が本件賃貸借契約を締結したことにより被った損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

五  ここで被告の抗弁について判断する。

被告は、被告の損害賠償債務は民法七二四条により本件賃貸借契約締結の日から三年の経過することで時効消滅した旨主張するが、本件では、原告の主位的請求である債務不履行による損害賠償請求が認められること前述のとおりであるから、被告の右主張は採用できない(仮に不法行為責任としても、原告が損害の発生を知ったのは昭和五七年一一月になって高洋産業から賃借権を否定されたときと解すべきである。)。

次に、過失相殺の主張についてみるに、本件賃貸借契約締結にあたった原告の代表者田中が宅地建物取引主任の資格を有し、原告会社自身は当時、宅地建物取引業の営業はしていなかったものの、会社の営業目的には不動産の賃貸、管理並びにその仲介が掲げられていたことは前記認定のとおりである。しかして、本件における被告の注意義務違反の内容は前記のとおり、本件建物の登記簿謄本をとって、登記された権利関係の確認を怠って仲介をしたことにあり、田中は被告から登記簿謄本によって権利関係の説明を受けていなかったのであるから、田中自身も安易に契約締結までせず、被告に登記簿謄本の提示を要求していれば、本件のような事態にはならなかったのであり、田中が宅地建物取引主任の資格を有することを勘案すれば、登記簿謄本の確認をしなかった田中にも落度があるものといわざるをえない。しかし、権利関係の確認は本来媒介する被告にあることは明かであるから、被告に比べ過失割合は当然低く解さざるをえず、原告の過失割合を三割とするのが相当である。

六  原告の損害につきみるに、原告が向井に預託した保証金五〇〇万円は、向井が本件店舗の所有者であることを前提に交付されたものであり、これの返還を現在の所有者に主張できないことは前記のとおりであって、仮に向井から日本林業への所有権移転が譲渡担保であったとしても、競落により本件賃貸借契約の履行が不能になったことは明かであるから、遅くとも昭和五七年四月二三日には向井は右保証金を返還すべきところ、同人に返還の能力がないことは弁論の全趣旨により明かであり、これは、被告が媒介契約を誠実に履行しなかったことによる損害と解するのが相当である。

原告は、原告が浦沢に支払った五五〇万円も損害であると主張するが、なるほど、前記二で認定したところによれば、右五五〇万円のうち、五〇万円は什器備品の追加譲渡代金であるが、五〇〇万円は什器備品、造作一式の譲渡代金とされているものの実質は賃借権譲渡の対価とみられるものであり、本件賃貸借契約が競落人に対し対抗できなくなったことにより原告の損害となったものと解することもできなくはないが、反面、右五〇万円はもとより五〇〇万円の中にもその割合は不明であるが浦沢が設置した什器備品、造作の代金も含まれていることは明かであり、原告は本件建物が競落されるまでは本件店舗を占有し、什器備品、造作を利用して営業上の利益をあげてきたのであって、浦沢から譲渡を受けたこと自体によって五五〇万円全部が損害となったものとは解することはできず、どの範囲で損害が生じたかについては本件全証拠によるも判然としない。したがって、原告の主張する権利金五五〇万円についてはこれを損害と認めることは困難である。

したがって、原告の損害は五〇〇万円と認められるところ、前記の過失相殺により原告は右の三割を負担すべきであるから、結局被告が原告に賠償すべきはその七割の三五〇万円となる。

七  以上によれば、原告の本訴請求は、被告に対し三五〇万円とこれに対する本訴状送達の翌日である昭和五九年三月一七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九四条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大橋弘)

<以下省略>

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